1990年より東京都大田区蒲田にてクリニックを運営してきた高橋龍太郎の、地域に貢献したいとの思いから大田区立龍子記念館とのコラボレーション実現に至った。その第一弾として、美術史家・山下裕二氏監修により4名の作家の代表作と川端龍子との「競演」展示を企画。「会場芸術」を提唱したスケールの大きな日本画家、川端龍子が自ら建てた展示室において、会田誠の《紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)(戦争画RETURNS)》と龍子の《香炉峰》、鴻池朋子の《ラ・プリマヴェーラ》と龍子の《草の実》、天明屋尚の《ネオ千手観音》と龍子の《青不動(明王試作)》《吾が持仏堂 十一面観音》、山口晃の《五武人圖》と龍子の《源義経(ジンギスカン)》といった現代の4作家との対峙、共振をみる展示となった。龍子作品の新たな見方を発見する場ともなり、以降、龍子記念館と高橋龍太郎コレクションのコラボレーション企画は継続して行われている。

高橋家の「逆説・生々流転」

高橋龍太郎

大田区立龍子記念館でのコラボレーション企画展を開催させて頂くにあたり、今少し私と大田区との関わりを記しておきたい。JICA(国際協力事業団(現・国際協力機構))での半年に及ぶペルーでの専門家としての仕事を終えたときに、ペルーでの研究対象だったクランデーロ(フォークヒーラー、民俗療法家)のような活動をしてみたいと、地域での精神科デイケアを志した。

幸い都立荏原病院からデイケアをやってみないかとのお誘いがあり赴任することになった。ところが予定したデイケアは実現しないまま、病院全体の改築になってしまい、私は最後に残った患者さん達のために、蒲田で独立してクリニックを開業し、23区で最初の精神科デイケアを開設することになった。(現在のコレクションはこのとき待合室に飾る絵を買い求めたのが始まりとなっている。)

こう記してみると、私と大田区の縁は荏原病院からたまたま誘われたという偶然に思われるのかもしれないが、実は私と大田区との縁は、祖父の代に遡る。
今は港区に住み本籍地も港区に移しているが、生まれてこの方ずっと本籍地は大田区にあった。現在の地名でいうと北馬込1丁目。戦前の地名でいうと大森区馬込西4丁目である。そこは祖父が宮城県本吉郡歌津村(現・南三陸町)から上京して2番目に住んだところであった。(それ以前には荏原郡大井町に住んでいた。)父は大正7(1918)年生まれであるから、大正初めの頃にもう上京していたはずだ。

ちなみに祖父は明治21年(1888年)6月18日生まれ、昭和39年(1964年)10月10日に気仙沼で亡くなっている。川端龍子は明治18年(1885年)6月6日生まれ、昭和41年(1966)4月10日に亡くなっている。祖父と龍子は全く同時代人だったのだ。しかも龍子が住んだのは、南馬込。北馬込に住んだ祖父とは同じ馬込の住人だったことになる。
祖父と父はその地で関東大震災と東京大空襲に被災した。祖父は自由が丘駅前にかなりの家作を有して貸していたらしいが、大空襲のあと「もう東京は駄目だ」とあきらめて故郷宮城県の気仙沼に転居して生涯を終える。医師である父はその後、母と結婚し私と同胞を得たのち、各地を転々し名古屋近郊に住んだときには伊勢湾台風、昭和40年以降は芦屋に住み阪神淡路大震災に遭遇した。一代でこれだけの災害を経験して無事に生き延びたのだから不死身としか言いようがないが、高橋家全体で見れば本家は今も南三陸町歌津にあるのだから、今度の東日本大震災も真っ只中で経験していることになる。高橋家は災害を招く一族なのであろうか。そうではあるまい、生きている限り天災から免れることができないという温帯モンスーンと4枚のプレートの上に位置する日本という国の一庶民の宿命に過ぎないだろう。

歌津町史には、本家の先祖である「洞之口」(高橋姓の多い、その地域のまとめ役だったので住んでいた地名で呼ばれたらしい)についての面白いエピソードが書かれてある。
博奕好きだった「洞之口」は江戸で賭博をやっていて、すってんてんになって困っていると、ふと窓から沖の海が見え、そこに自分のところの海産物を乗せた船がさしかかる。よしとばかりその船の積荷を全部賭けたら、今度はその勢いのまま大勝ち。その夜は吉原全部を借り切りどんちゃん騒ぎをしたとある。

最近は現代アートを投資の視点から見直す動きが急だが、その視点からすると将来のあてのない若手の作家達を25年にわたって2000点以上購入し続けたわたしには、この先祖の博奕好きの血が脈々と流れているのだろうか。いやいやまさか投資として考えたらこのように効率の悪い投資は考えなかったろう。想いは現代を生きる若い作家たちのアートに賭ける(やはり賭けている?)一途な夢を一緒に見たいというだけだ。
日本の製造業の衰退が言われて久しい。今や日本人の「美意識」くらいしか世界に向かって発信できるものはない気もする。この日本人の美意識の遺伝子は、大和絵以降1000年の歴史を経て、現在の日本画に継承されている。しかも川端龍子の提唱した「会場芸術」のなかにこそ、今の若い世代の持っているアート空間への熱い志向と共有するものがあるのではないか。
この地で精神科クリニックを開業して30年が過ぎ、今回大田区の御好意から、記念すべき企画を用意していただいた。この企画がこれまでお世話になった区民の皆様に、コロナ禍にあっても世代を越えたお楽しみを提供できるとすれば、こんなに幸せなことはない。高橋家の「逆説・生々流転」のたどりついた先が高橋龍太郎コレクションであったとすれば「賭博者」であった祖先も大いに祝福してくれることだろう。

初出:「川端龍子VS.高橋龍太郎コレクション−会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃−」公式図録件書籍(2021年、求龍堂刊 ©︎2021 大田区立龍子記念館)

会場:

大田区立龍子記念館

会期:

2021年9月4日(土)-2021年11月7日(日)

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