山形県鶴岡市の鶴岡アートフォーラムにて開催。鶴岡は高橋の生まれた地であることから、コレクションの原点を見つめ、さらにアートの根源を見つめるという意味を込めて「アートのふるさと」というタイトルを付けた。マインドフルネスを経て、「中動態」にアートの根源のヒントを見出した高橋のテキストが冒頭に掲げられ、コレクションの原点、合田佐和子と草間彌生から始まり31名の約100点の作品が展示された。

アートのふるさと、中動態

高橋龍太郎

2008年霧島アートの森で始まった高橋コレクション展は、この鶴岡でちょうど21回目になる。

これまでパリを含めて21回の展示のなかで、一番興味深かったのは、いくつかの展示毎にそのテーマを考えテキストを書けたことだった。それはあてどないコレクションの旅の記録となって、旅そのものの意味を改めて考えさせてくれるものとなった。

主だったテーマをあげると「ネオテニー・ジャパン」「マインドフルネス」「ミラーニューロン」「小さきものほど大きく照らす」「がらがらぽん」ということになるだろうか。

「ネオテニー」とは幼形を保ったまま性的に成熟してしまうような変態過程をいうが、人類がその典型であることをふまえ、日本の現代アートシーンがマンガやアニメのような幼形的サブカルチャーの強い影響下にあることを表現したものだった。

「マインドフルネス」では、アートを見るときの目を曇らせる既製の見方、自動思考を一旦カッコでくくって「ありのまま」に作品に向き合うことを提案した。

「ミラーニューロン」では鏡のように行動を写しとるといわれるミラーニューロンを通じて、日本古来の「なぞらえ」という引用文化が、現代に脈々と連なっていることを論じた。

「小さきものほど大きく照らす」は、禅宗の「一即多、多即一」を転用し、小さなフラクタル構造が宇宙規模に繋がっていくことを伝えた。

「がらがらぽん」では、日本のアートシーンの、洋画、日本画、現代アートの奇妙な鼎立構造をがらがらぽんとぶっ壊すことを提案した。

いずれも、その時折にコレクションやアートシーンを巡る関心事に言葉を与えたものだが今回は、「ふるさと」である。

もちろん鶴岡が私の母方の故郷であることにひっかけて使っているのだが、「アートのふるさとはどこにあるのか」は半ば本気の問いなのである。

中動態という言葉がある。能動態と受動態に分けられる現代では、失われた「態」であるが、中世にはむしろ能動態と中動態としかなかったという。意志を示す態動と、自然発生的な中動が私たちの精神を表現している時代だった。意志だけが重んじられる近代に入るとこの中動態は消えて、能動態と受動態だけに変わっていく。この中動態の消滅は宗教や教会の権威の失墜と平行している。そしてそれに代わってアートが少しずつ権威化する。私たちの心の内側に自ら湧き起こってくるものをアートと呼ぶなら、中動態に示されるこの心の動きこそ、アートのふるさとと言えるのではないか。アートは失われた中動態の生まれ変わりなのではないか。

初出:「高橋コレクション展 アートのふるさと」展覧会挨拶パネル 鶴岡アートフォーラム 2019年

会場:

鶴岡アートフォーラム

会期:

2019年7月13日ー2019年8月25日

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