1946年生まれの高橋龍太郎がいかにして現代アートコレクターとなり、日本の現代美術史において重要な作品を蒐集し、公立美術館の「失われた30年」を補完するコレクションを築いたのか。日本の戦後史にそのまま重なる高橋の個人史をたどることで、時代を切り取るコレクター・高橋の私観から現代日本のアートを見つめる。戦後日本の自画像のような展覧という、東京都現代美術館学芸員、藪前知子氏の意欲的なキュレーションで構成された。文化と政治が交差する1960〜70年代、熱気を帯びた東京での、コレクションの原点となった草間彌生や合田佐和子との出会い。高度経済成長そしてバブル景気の日本を経て、本格的に現代美術のコレクションを始めた90年代。一貫して「若いアーティストたちの叫び、生きた証」に共振し突き動かされるように追い求めてきた高橋のコレクション。その本質を藪前氏は「路上の前衛」というキーワードで導き出し、コレクターの熱量を体現するかのように115組の243作品を展示した。とりわけ通常は展示が困難な大型作品−西尾康之の《crashセイラ・マス》、鴻池朋子の《皮緞帳》、小谷元彦の《サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)》、森靖の《Jamboree-EP》、青木美歌の《Her songs are floating》、SIDECORE/EVERYDAY HOLIDAY SQUADの《rode work tokyo_spiral junction》などの迫力ある展示や、コレクション初展示となった千葉和成の《ダンテ『神曲』現代解釈集》の連作、根本敬の《樹海》、さらには里見勝蔵の《石顔》などに驚きの声が上がり、高橋龍太郎コレクションのスケールと独自性、コレクター高橋の時代を見る眼と情熱が浮かび上がる大規模コレクション展となった。

いつまでも、鞠を蹴りつづけるために

高橋龍太郎

1966年の夏休み、ひと夏『三田新聞』編集部に詰めっぱなしで「これがわれわれの時代なのだ」と題してサルトル特集号全6ページを編集した。そこでは知の巨人であるサルトルを紹介するだけでなく、1964年秋のノーベル賞受賞決定とその拒否や、『ル・モンド』紙のインタビューが大きなテーマになった。

このときサルトルは、「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは、今日飢えている二十億の人間の側に立たねばならず、そのためには文学を一時放棄することも止むを得ない」と「参加(アンガージュマン)の文学」を唱えた。

当時慶應の佐藤朔、白井浩司等の著名な仏文学者たちは「アンガージュマン」を唱えるサルトルには否定的で、『嘔吐』をはじめとする実存主義的な側面は評価するという風潮だった。政治と文化の狭間に揺れ動いていた私には、サルトルの問題提起こそ、嚆矢が放たれた感じを強く持ったのでサルトルの「アンガージュマン」論を求めて、一橋大の鈴木道彦、海老坂武や外語大の篠田浩一郎に寄稿をお願いに行ったりした。

その過程でポール・ニザンの『アデン・アラビア』を知り、この冒頭の美しい文章に打たれた。

「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果たしているのか知ることは辛いことだ」。*1

サルトルより遥かに早く政治に直接かかわり、共産党員になり独ソ協定に絶望、離党しダンケルクで戦死したニザン。サルトルのアンガージュマン文学論はニザンへのオマージュだと考えた私はその後、より深く政治とかかわることになった。しかし政治の季節は終わる。

合田佐和子の作品をコレクションしたとき、それが続かなかったのは、もちろん資金が続かないこともあるが、このニザン体験と絵をコレクションすることがどこかしっくりと繋がらない思いがあったことも事実で、今でもコレクションという「大人たちの仲間に入ること」に幾分なりとも躊躇する気分が残る。しかし、それも草間彌生の作品をコレクションすることで政治と文化を一体のものとして見直すことができた。

2011年3月11日に発生した東日本大震災は東北地方に甚大な被害をもたらした。私のコレクションしている作家からも、このまま創作を続けていいのかボランティアに行くべきか悩んでいるとのLINEがあった。しかし私は、彼女の木の葉を用いる作品こそ、今つくるべきだと説得した。森があることで海の牡蠣が豊かになるという話を持ち出して、葉を何万枚をも使う作品が海を救うことになるからと、つくり続けることをすすめた。

震災後の厳しい状況のなかで、アーティストからの真摯な問いかけは、45年前のサルトルの問いかけを私に呼び起した。震災で生きていくのが困難な人々の前でアートをコレクションすることに意味はあるのかという問いがしのびこんできた。いつもコレクションについては、自分なりに答えを用意してきたつもりだったが、このときは明解な解答は出せないままでいた。

そのとき救われたのは中沢新一が『精霊の王』のなかに引用した『成通卿口伝(なりみちきょうくでん)』という物語だった。成通卿(藤原成通、1097-1162)は笛の名手で今様も歌い、乗馬にも早業にも巧みであったが、何より「鞠聖」と呼ばれるほど蹴鞠に打ちこんでいた。「蹴鞠の庭に立つことじつに七千日を超え、そのうち二千日は一日も欠けることなく、連日鞠を蹴り続けたという。病気のときには、病床に鞠を持ち込んで、ふとんの端をまくりあげて、寝たまま鞠を蹴った」。*2

なかでも人々が感銘をうけたのは、成通卿がある夜、顔は人間であるが体は猿という三、四歳ばかりの鞠の精の訪問を受けた話だった。「乱れた世の中にあって一心不乱に鞠を蹴り続けると、鞠のこと以外には何も余計なことを思わなくなり、自ら心の罪はなくなる。輪廻転生にもよい影響を与え、蹴鞠をすれば功徳を積むことになる」と鞠の精に教えられる。

この本は鞠の精を足がかりにして、宿神から能楽の翁の果す役割に至り、大和朝廷から排除され地域地域に隠れて残された石神信仰を掘り起こすことで、世界を見直すものとなっている。歴史を勝者の側から見るのではなく、表層の政治や経済に掬いあげられてこなかったもの、歴史のなかで敗者として葬り去られたものが、芸能やアートとして復活している物語としても私には読めるような気がした。

鞠を上手に蹴りつづけると、鞠は天と地を媒介するかのように空間に留まりつづける。そこは地の闘いに敗れた人の精霊が浮遊している場所とも考えられる。蹴鞠はそんな精霊たちを弔う聖なる儀式とも重なる。私は、この鞠こそ、アートそのものではないかと夢想した。アートという鞠を一心不乱に蹴りつづけ、コレクションを途切れないようすることは、歴史の表層には現れないで、取り残されてきたすべてのものたちへの友愛の行為となるのではとさえ思えてきた。

蹴りつづけるしかないのではないか。「アリ」「ヤカ」「オウ」 *3

1 ポール・ニザン(篠田浩一郎訳)『アデン アラビア』(ポール・ニザン著作集1)晶文社、1966年pp.8-9
2 中沢新一『精霊の王』講談社、2003年p.4
3 蹴鞠を行なう時の掛け声は、3人の鞠精童子たちの名「夏安林(げあんりん)」「春楊花(しゃんやうか)」「秋園(しゅうおん)」に由来するといわれる。

初出:『日本現代美術私観 高橋龍太郎コレクション』東京都現代美術館監修(2024年、国書刊行会発行)

会場:

東京都現代美術館

会期:

2024年8月3日 – 11月10日

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