| 芸大の修了展に展示された後、 91年に公募という形でワタリウムにおける展覧会の付帯イベントとして開催され、
同館に於ける審査後、石川県の鶴来市内で開催された「ヤン・フートの眼」が、この作品の言わばメジャーデビュー戦であった。 ドクメンタのチーフキュレーターに決定し、急激にその評価を伸ばしはじめていたフートと、未だ全くの無名ながら、着実に実力 をつけていた村上はこんな所で交差していたのである。近年のキャラクターペインティングからは想像もつかないが、90年代初頭 の村上隆の作品と言えば、むき出しのFRPに白塗りされたタミヤの兵隊がトレードマークだった。 80年代末、バブル期に街中のあちこちに突如現れた様々なディスプレイ、オブジェ。それらは華やかな塗装を剥げばみな同じ黄色く 半透明なFRPであった。ディスプレイ工房の手伝いをしていた村上はその経験から、日本の芯のメタファーというコンセプチュアルな 対象物としてこの素材を選んだのである。 一方、 FIRST IN QUALITY AROUND THE WORLDと、高々と謳いながら、アメリカを象徴するかのような赤/青地の白い星を掲げるタミヤ のトレードマークに、アメリカの下でしか存在し得ない日本を見た村上は、その浄化を目論むかの如く、白く塗りつぶされた兵隊を 素材として用いた。さらに村上は彫刻の重要な要素である台座を否定し、不安定性をエネルギーとすべく作品の足元にキャスター (滑車)を使用し、美術内美術としての理論武装を謀った。殊にこの作品についての前述の展覧会に於けるフートとの対話が、 キャスターに「無意味」という意味性を象徴させるところとなり、大作「シーブリーズ」に 至るまで、様々なキャスターが村上の 作品の足元を支える事となる。コンセプトのダブルバインド、トリプルバインドを象徴する「ポリリズム」と題されたこのシリーズは 数十点が存在するものと思われるが、意味的な原型であり、完成体であり、村上の在り様を最初に世に知らしめたという意味においても、 この作品は初期の最も重要なものと言っても過言ではないだろう。 |
| レントゲンヴェルケ 池内務 |